
HOME > 作品紹介 > Tradition > 双連の大切妻屋根を有する寺院

| 2952.23 m² | |
| 663.28 m² [1F] 588.76 m² [2F] 74.52 m² |
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| 2004年6月 |

◆ コンセプト
静岡市清水久能山東照宮にほど近い場所にこの寺院は存在する。
計画地東側には国道150号線が走っているが、この道を拡幅整備する計画がもちあがった。これを受け、計画道路にかかる現寺院を除却し、本殿を敷地北側にあらたに建設することとなった。
構想を重ねる事数年、ようやく実現の日を迎えたのである。
◆ 形態
本殿は木造2階、切妻2連(一部入母屋)のシンプルかつ大胆な大屋根を有する。華美な装飾のない質実剛健な姿が特徴である。
◆ 色彩
屋根の色はいぶし銀【日本瓦葺】、外壁は白色、木部は基本的に茶系色である。西側腰壁は杉板の上に黒色塗装、屋根部破風や妻壁部格子は明るい白木系の色とした。
また開口部は黒のアルミサッシである。
外部と接する塀、門扉、フェンスに関しても基本的に黒と白といった寺院に相応しい色をコントラストをもって使用する事により、庭の木々や周辺環境に対しても十分な配慮をしたものである。


建物全体が北に移動することにより境内の前庭は以前にもまして広くなり、奥行きを感じさせる空間になるとともに、前面道路から見える建物ヴォリュームの圧迫感を緩和することにもなった。
現時点において既に美しい姿を現しているが、将来的に国道150号線の整備が完了したあかつきには、道路に対して見事に南面する寺院となる。
これにより、久能海岸方向から訪れる人々の心を和ませるランドマーク的な存在となるであろう。
静岡市清水駒越五軒屋にある京寳院(きょうほういん)の創始者は、鳥取県鍬田郡の城主、野々村丹波の孫にあたる野々村三十郎である。氏は織田、豊臣の二君に仕え、大阪城が落城してから修験者となり駿河国に移住した人。
寛永年間(1624~44年)、当時の領主榊原越中守から尊崇を受けられて徳川将軍家の鬼門除災の祈願所として駒越のこの地に京宝院を創設したということである。
寛文10年(1670年)のことである。宝円山京寳院は真言宗醍醐派に属し総本山は京都市にあり、現在の住職で第17代。同じ醍醐派が市内に9ヶ寺院ある。
境内に不動明王の碑があるが、不動明王は大日如来の使者でインド教シヴァ神の出で、真言密教行者の守護神である。戦国時代の武将達からも尊崇を受けたと言われている。

